高瀬寺跡(読み)たかせじあと

日本歴史地名大系 「高瀬寺跡」の解説

高瀬寺跡
たかせじあと

[現在地名]守口市馬場町一―二丁目

高瀬神社付近にあった古代―中世寺院跡。高瀬神社近傍より奈良時代の屋瓦が出土することから古代寺院の存在が知られた。聖武天皇の勅願で行基が天平二年(七三〇)に造立したという五畿内四十九院の一、高瀬橋院(行基年譜)遺跡と推定されている。また近年行基の時代より前の古瓦が多数出土していて、高瀬橋院以前に、すでに寺院の存在が確認されるという(守口市史)馬場ばば町一―二丁目には地籍図によれば薬師・薬師道・寺道・楼門・鐘楼堂などの字名がある。高瀬寺がいつ頃まで存続したかは不明だが、播州青原寺蔵大般若経巻一三〇の奥書に「于時応安六年癸丑十月八日以高瀬寺七社之御宝前御経書写了 天神宮御経也 沙門光賢」とみえる高瀬寺は、当地の高瀬寺とみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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