20世紀日本人名事典 「高田敏子」の解説
高田 敏子
タカダ トシコ
- 生年
- 大正3(1914)年9月16日
- 没年
- 平成1(1989)年5月28日
- 出生地
- 東京・日本橋
- 旧姓(旧名)
- 塩田 敏子
- 学歴〔年〕
- 跡見高女〔昭和8年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 武内俊子賞(第1回)〔昭和37年〕「月曜日の詩集」,芸術祭賞奨励賞(第1回)〔昭和38年〕,室生犀星賞(第7回)〔昭和42年〕「藤」,現代詩女流賞(第10回)〔昭和61年〕「夢の手」,ダイヤモンドレディー賞(第3回)
- 経歴
- 戦後ハルピンより引揚げ、長田恒雄の「コットン・クラブ」、日本未来派同人を経て、第一詩集「雪花石膏」を刊行。昭和35年から朝日新聞家庭欄に詩を掲載、好評を博し、“お母さん詩人”“主婦詩人”と呼ばれる。41年一般読者の支持で、詩雑誌「野火」創刊、主宰。「山の樹」同人。37年「月曜日の詩集」で武内俊子賞、42年「藤」で室生犀星賞受賞。他に「人体聖堂」「むらさきの花」「夢の手」など著書多数。平成元年「高田敏子全詩集」(花神社)を刊行。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報