高畠宿(読み)たかばたけしゆく

日本歴史地名大系 「高畠宿」の解説

高畠宿
たかばたけしゆく

中世高畠庄の中心部にあたり、現高畠近辺と推定される。観応二年(一三五一)正月の長野季光軍忠状(得江文書)によれば、前年の一一月一九日観応の擾乱で足利直義党に属した越中の桃井直信が、足利尊氏方の能登守護桃井盛義を討つため数千騎の軍勢を率いて能登に侵攻し、横大道(のちの内浦街道)筋の要衝高畠宿に陣を取り、金丸(かねまる)城(現鹿西町)に拠る盛義方と邑知(おうち)地溝帯を挟んで対峙した。これに先立つ元亨元年(一三二一)一二月には高畠庄内小柴(こくぬぎ)村の横大道沿いに宿在家三宇の存在が確認でき(「関東下知状」宮内庁書陵部所蔵文書)、鎌倉末期すでに高畠宿が形成されていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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