高神村(読み)たかがみむら

日本歴史地名大系 「高神村」の解説

高神村
たかがみむら

[現在地名]銚子高神東町たかがみひがしまち高神西町たかがみにしまち天王台てんのうだい小畑町こばたけまち小畑新町こばたけしんまちきみはま犬吠埼いぬぼうざき長崎町ながさきちよう外川町とかわまち外川台町とかわだいまち名洗町なあらいまち高神原町たかがみはらまち

飯沼いいぬま村の南方に位置し、岬の南半部余を占める。南東部に高神の集落があり、この西に名洗の集落、南に渡海とかい神社および犬若いぬわかの岬、この南東に愛宕あたご山を挟んで外川・長崎、東に犬吠埼・君ヶ浜、北東小畑がある。慶長一七年(一六一二)検地が行われ、当時の百姓は一六名であったという(「先代集」田中家文書)。元和三年(一六一七)の柑子木数帳(谷本家文書)に「たあかみ」とみえ、金照院・歓明坊・惣右衛門尉・法光院・法蔵院・薬師堂などで計七本の柑子木を植えていた。寛永四年(一六二七)旗本松平領となり、年未詳の松平氏領書上(宮内家文書)では高上村四二四石余。明暦元年(一六五五)海上うなかみ三崎みさき庄高上村の検地、寛文五年(一六六五)には名洗新田、延宝三年(一六七五)には小畑新田、同五年には君ヶ浜新田の検地が行われた(「高神村史略」銚子市公正図書館蔵)。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分では高神村として高七九五石余で幕府領。同年の田四八町余・畑四九町一反余で、村高のうちに浮役として海磯高六二石などが含まれていた。小売酒運上・菓子青物麺類運上などのほか、定納地船八艘永二貫文があり、御名鰹節三二節を納め、また大池役永二五〇文、旅八手網三四帖運上(一帖に付き金一両三分)、旅鰹船二〇艘運上(一艘に付き一両二朱)、縄船一一艘運上(一艘に付き一分)、塩鰯運上(一漬に付き一銭)、浜屋敷納屋一〇四軒役(一軒に付き鐚二朱)などが課されていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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