高蔵寺村(読み)たかくらじむら

日本歴史地名大系 「高蔵寺村」の解説

高蔵寺村
たかくらじむら

[現在地名]堺市高倉台たかくらだい一―四丁・茶山台ちややまだい一―三丁・三原台みはらだい一―四丁・若松台わかまつだい一丁・晴美台はるみだい一―三丁・槙塚台まきづかだい一丁・高蔵寺

深坂ふかさか村の南東、泉北丘陵上にある村。大鳥郡に属し、陶器とうき庄一〇ヵ村の一。単に高蔵村と書かれる場合もあった(元禄郷帳)。村名は当地の名刹高倉寺にちなむという。「行基年譜」行基三八歳の慶雲二年(七〇五)の項に「大□忠院高蔵」とみえる。永正一四年(一五一七)五月晦日の吉瀬田旦那譲状(熊野那智大社文書)に「和泉国高蔵之妙覚院之引一円」とみえ、妙覚みようかく院が近在の熊野先達であったことが知られる。慶長一〇年(一六〇五)和泉国絵図には「たか倉寺」とみえ、高三九五石余。

高蔵寺村
こうそうじむら

[現在地名]春日井市高蔵寺こうぞうじ町・高座たかくら

足振あしぶり村の東にあり、庄内川を隔てて上志談味かみしだみ(現名古屋市)に対する。「府志」は「俗云是熱田高蔵宮之奥院也」と記す。この地は熱田(現名古屋市)高倉明神を祀り、高倉こうそう寺とよぶ神宮寺をつくり、のちに高蔵寺と書くようになった。寛文一一年(一六七一)の家数三五、人数三一二(寛文覚書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報