高野下分
こうのしたぶん
[現在地名]河東町八田
大野原北西の鍋沼を囲む丘陵の西下に位置し、北北西は八田野村、北西は稲荷原新田村。「新編会津風土記」には、八田野村の小名高下とあり、「本村より十二町二十間巳の方にあり(中略)山中所々に散居す、四面に少く田畝あり」と記される。寛永一三年(一六三六)高野下の百姓八蔵と藤七が、沓掛峠(現会津若松市)付近の雁の坂で御法度の雁を密猟して死刑となり、荒れ放題になっていた手余地を、越後国蒲原郡原村(現新潟県下田村)の小百姓藤左衛門が移住してきて再開発し、天明二年(一七八二)には高一八石余の百姓になった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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