日本歴史地名大系 「高鍋村」の解説 高鍋村たかなべむら 宮崎県:児湯郡高鍋町高鍋村[現在地名]高鍋町高鍋町・北高鍋(きたたかなべ)・南高鍋(みなみたかなべ)・蚊口浦(かぐちうら)小丸(おまる)川の右岸河口にあり、北は沖積低地、南は洪積台地で、その境界を宮田(みやだ)川が流れる。東は日向灘に面し、西は椎木(しいのき)村(現木城町)・穂北(ほきた)村(現西都市)・新田井倉(にゆうたいくら)村(現新富町)、小丸川を挟んで北は持田(もちだ)村・岸上(きしのうえ)村、南は日置(へき)村(現新富町)。中世から近世前期には財部(たからべ)と記されることが多い。天正一五年(一五八七)七月三日の豊臣秀吉朱印状(高鍋町歴史総合資料館蔵)に高鍋城とみえる。寛文九年(一六六九)に財部を高鍋に改めたというが、同四年の高鍋藩領知目録写(同館蔵)に高鍋村とみえ、同年の高鍋藩領地覚(隈江家記)では高二千三四三石。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by