日本歴史地名大系 「高鍋城下」の解説
高鍋城下
たかなべじようか
慶長一二年城下西部の台地から城郭部分を独立させるため「野首ノ堀切リ普請」が始まり、同年秋には種長によって城下に祇園社(現八坂神社)が建立されている(隈江家記)。また「隈江家記」同年条に「毎年六月十三日ニ祭礼大市町」と記され、同書寛永一〇年(一六三三)条には「三月廿八日甲斐岳右衛門所ヨリ出火、高鍋城下町七十軒、石原八軒、小丸二十五軒、順礼堂一軒合テ百四軒午ノ刻一時焼失」とあり、すでにこの頃祭礼に大市が立ち、城下町が形成されていた。城下町は南北に走る一筋町で、北から
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報