高鍋町(読み)たかなべちよう

日本歴史地名大系 「高鍋町」の解説

高鍋町
たかなべちよう

面積:四三・九二平方キロ

小丸おまる川と宮田みやだ川の河口にあり、東は日向灘、北は川南かわみなみ町、西は木城きじよう町と西都市、南は新富しんとみ町に接する。海岸線に沿って南北にJR日豊本線が走り、高鍋駅が設けられている。それと並行して国道一〇号が縦断している。当町から宮崎市青島付近までの海岸線約三五キロは全国有数のアカウミガメの産卵地で、うち二二・九キロが県の天然記念物に指定されている。なお高鍋は中世には「財部」と記されることが多く、「高鍋」の表記は、天正一五年(一五八七)七月筑前秋月あきづき(現福岡県甘木市)の領主秋月種長が、高鍋へ移封を命ぜられた際の豊臣秀吉の朱印状(高鍋町歴史総合資料館蔵)に高鍋城とみえるのが早い例である。しかしその後も「財部」の表記が頻繁に使われ、正式に「高鍋」に改められたのは寛文九年(一六六九)といわれる。

当町の遺跡は主として小丸川河口に近い洪積台地上に分布している。持田中尾もちだなかお遺跡からは旧石器時代の掻器・尖頭器・ナイフ形石器が出土している。上江うわえ耳截みみきれからは縄文時代早期の手向山式土器が出土し、持田中尾遺跡では弥生時代の竪穴住居跡二軒・土坑六基、かみ別府びゆう遺跡では六世紀後半の竪穴住居跡九軒・掘立柱建物跡二棟とともに土師器須恵器が検出されている。台地上には持田古墳群(円墳七五基・前方後円墳一〇基)があり、国の史跡に指定されているが、昭和初期に大がかりな盗掘にあっている。一号墳(前方後円墳)からは漢式鏡の盤竜鏡が出土し、二五号墳(円墳)からは現在広島県瀬戸田せとだ町の耕三こうさん寺博物館に収蔵されている画文帯神獣鏡(国指定重要文化財)が出土している。一方、旧高鍋町域に含まれる古墳は昭和一二年(一九三七)高鍋町古墳として県の史跡に指定されている(同一九年追加指定)。ほかに横穴墓も発見されており、光音寺こうおんじ地区に七基、持田鴫野もちだしぎの地区に一基など計二六基が散在している。

律令制のもとでは当町域は那珂郡於部おべ(和名抄)に属したと考えられる。「釈日本紀」所引の「日向国風土記」逸文にみえる高日たかひ村は、宮崎郡に所在すると書かれているが当町域に求める説もある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高鍋町」の意味・わかりやすい解説

高鍋〔町〕
たかなべ

宮崎県中部,小丸川の下流域で,日向灘にのぞむ町。 1901年町制。中心集落の高鍋は小丸川の河口にあり,天正 15 (1587) 年以後財部 (たからべ。延宝年間改称し高鍋) 藩秋月氏城下町として発達。現在もこの地区が文教,産業などの中心で,化学,酒醸造の工場がある。主産業は農業で米作のほか,トマト,キュウリピーマンなどの施設園芸が行われる。舞鶴神社のクスは天然記念物。持田に史跡の古墳群がある。 JR日豊本線,国道 10号線が通じる。面積 43.80km2。人口 1万9922(2020)。

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