日本歴史地名大系 「鬼津村」の解説 鬼津村おにづむら 福岡県:遠賀郡遠賀町鬼津村[現在地名]遠賀町鬼津若松(わかまつ)村の西に位置し、村の南部は平野(遠賀平野)、北部は砂丘性の丘陵地である。南東部を西(にし)川(現戸切川)が流れ、西は小鳥掛(ことりがけ)村、南西は尾崎(おざき)村、南は別府(べふ)村(「続風土記拾遺」など)。集落は本村の寺ノ前・井(い)ノ浦(うら)・寺ノ下・山(やま)ノ下(した)・久保尻(くぼしり)(「地理全誌」など)。小鳥掛・尾崎・若松の三村はかつて当村のうちであったが、後に別村となった(続風土記拾遺)。しかし三村は分村後も当村の枝郷として扱われた(「続風土記」など)。正平一六年(康安元年、一三六一)九月日の深堀時勝軍忠状(深堀文書/南北朝遺文(九州編)四)によれば、同年八月七日に筑前国糟屋(かすや)郡の青柳合戦で大友氏時・少弐冬資らの軍勢を打破った南朝方の菊池武光は、敗走する兵を追って翌八日に宗像郡西郷(さいごう)(現福間町)を発向、途中「葦屋・鬼津以下所々」に陣を構えながら豊前国に入っている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報