日本大百科全書(ニッポニカ) 「魏延」の意味・わかりやすい解説
魏延
ぎえん
(?―234)
中国、三国蜀(しょく)の武将。字(あざな)は文長(ぶんちょう)。義陽(ぎよう)郡(湖北(こほく)省棗陽(きょくよう)市)の人。荊州(けいしゅう)より劉備(りゅうび)の入蜀に随行し、しばしば戦功をあげて兵より成り上がった武将である。劉備が漢中王(かんちゅうおう)につくと、張飛(ちょうひ)が任命されると思われていた漢中太守(たいしゅ)に抜擢(ばってき)されるほど、劉備に信頼された。劉備が皇帝に即位すると、鎮北(ちんほく)将軍となった。しかし、劉備の死後、魏延の理解者は急速に減少する。北伐に際して、「精鋭5000人を率い、子午道(しごどう)を通って長安(ちょうあん)を攻撃したい」と進言するが、諸葛亮(しょかつりょう)(孔明(こうめい))はこれを危険な策として採用しなかった。魏延は、諸葛亮を臆病(おくびょう)者とののしり、自分の才能が用いられないことに不満を募らせていく。諸葛亮の死後、不仲であった楊儀(ようぎ)との争いから反乱を起こし、馬岱(ばたい)に殺された。『三国志演義』では、劉備集団に加入した折から、諸葛亮にその「反骨」のために斬(き)られそうになり、諸葛亮の祈祷(きとう)の主灯を踏み消すなど、一貫して悪役に描かれている。
[渡邉義浩]
『渡邉義浩著『「三国志」武将34選』(PHP文庫)』