ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「魯王朱以海」の意味・わかりやすい解説
魯王朱以海
ろおうしゅいかい
Lu-wang Zhu Yi-hai; Lu-wang Chu I-hai
[没]康煕1(1662).台湾
中国,清初に明の遺臣により擁立された明の王。字は巨川。洪武帝の 10世孫。順治1 (1644) 年に魯王を承襲し,翌年に福王朱由 崧が清軍にくだると兵部尚書張国維などにより浙江省紹興で監国に擁立された。しかし,同時に唐王朱聿鍵 (とうおうしゅいっけん) が福建省福州で擁立されていて両者は非協力的であった。同3年に紹興が陥落すると台州から長垣に逃れ,一時は福建省沿岸の諸地域を支配したが,同5年頃から清軍の侵攻が進み舟山に逃れ,日本に援軍を請うなどして明の回復に努力した。しかし同8年には舟山も清に落され,魯王はアモイ,広東省南澳,澎湖,金門島と転じて台湾に渡り,台湾で没した。なお魯王は順治3 (46) 年を監国魯1年としたが,同 10年正月に監国の号をやめ,年号も監国魯8年で終った。
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