日本歴史地名大系 「鮎河」の解説 鮎河あゆかわ 長崎県:南松浦郡上五島町鮎河中世にみえる地名で、西浦目青方(にしうらめあおかた)のうち。文保二年(一三一八)九月一七日の青方高継譲状案(青方文書、以下同文書)に「あゆかわ」とみえ、青方のうちの地頭職を養子の亀法師丸に譲っているが、その南境として記載されているもので、また「あゆかわに候ハんあみ」一張を惣領の領内で自由に立てることが許されている。元亨二年(一三二二)「五たうないにしうらめあをかたのうちのあゆかわのうら」の地頭職を銭五〇貫文で兵衛四郎(堺深)に売渡しており、四至は南が鯛(たい)ノ浦(うら)(現有川町)、北が魚目(うおのめ)(現新魚目町)越の大道などで、網漁は惣領内のいずれでも行うことができ、また高継の牧に放牧することが認められた(同年七月一〇日青方高継・高直連署沽却状案)。この四至は文保二年の譲状のものと同じであることから、亀法師丸が得た地頭職は鮎河浦であったらしい。また亀法師丸は堺深の孫であったようで(建武元年八月日青方高直目安状案)、この譲与と売却の関連は明らかではない。しかしこの売却に変更があったらしく、深は高継を訴えており、元亨四年「五島西浦目青方内鮎河浦」の地頭職ならびに丸田(まるた)などをめぐって高継が召喚されている(同年六月一三日鎮西御教書案)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by