日本歴史地名大系 「鮠川村」の解説 鮠川村はいかわむら 三重県:度会郡度会町鮠川村[現在地名]度会町鮠川立岡(たちおか)村の西。宮川の左右の段丘上にある。右岸の支流鮠川沿いに茶屋広(ちややびろ)の集落があり、対岸は当津(とうづ)村。「類聚雑要抄」にみえる川(はえかわ)御厨の故地に比定される。近世は和歌山藩領。慶安郷帳(明大刑博蔵)は「ハエカハ」と訓ずる。田方一三九石余・畑方一四八石。宝永四年(一七〇七)三月には検地帳が作成されている(徳川林政史蔵)。宝暦三年(一七五三)の検地帳写(内城田村誌)では村高二七三石余。文政四年(一八二一)の本新高人家牛馬数調(同書)では、鮠川村一五九石余と南鮠川(みなみはいかわ)村一一四石余に分立している。戸口は鮠川村二〇戸、男五六人・女三八人。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報