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鮫島尚信 さめじまひさのぶ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

鮫島尚信
さめじまひさのぶ

[生]弘化3(1846).鹿児島
[没]1880.12.24. パリ
明治初期の外交官。薩摩藩士。通称は誠蔵。慶応1 (1865) 年,藩の留学生として渡欧。明治政府成立後は徴士。外国官権判事を経て明治3 (70) 年,少弁務使としてフランス在勤。 1873年,駐仏特命全権公使となる。 75年帰国して外務大輔,次いで議定 (ぎじょう) となり,78年再度渡欧,フランス,ベルギー特命全権公使のほか,ポルトガル,スペイン公使を兼ねるにいたったが,まもなく客死

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

鮫島尚信 さめしま-なおのぶ

1845-1880 明治時代の外交官。
弘化(こうか)2年3月10日生まれ。もと鹿児島藩士。イギリス留学後,慶応4年外国官権(ごんの)判事となる。のち少弁務使,外務大輔(たいふ)などを歴任。明治13年12月4日駐仏公使在任中,パリで客死。36歳。通称は誠蔵。変名野田仲平

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

鮫島尚信

没年:明治13.12.4(1880)
生年:弘化2.3.10(1845.4.16)
明治初期の外交官。父は薩摩(鹿児島)藩医鮫島淳愿。母は須摩。通称誠蔵。変名野田仲平。17歳で長崎に遊学,何礼之に英学を学ぶ。帰藩後,開成所訓導師。慶応1(1865)年英国に留学,ロンドン大学に入る。同3年に渡米,森有礼と共に宗教家トマス・レーク・ハリスの教団に加わったが,その勧めに従い明治1(1868)年6月帰国した。外国官権判事,東京府大参事を経て,同3年少弁務使としてフランスに在勤。同8年帰国し寺島宗則外務卿のもとで外務大輔を務め,同11年再び駐仏公使となる。在勤中の尚信に外交実務の基本を指導した英国人弁護士マーシャルは,その厳しい勉学態度に驚いたという。激務がたたり執務中に死去,モンパルナスの墓地に埋葬された。<参考文献>犬塚孝明『薩摩藩英国留学生』

(犬塚孝明)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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