朝日日本歴史人物事典 「鮫島尚信」の解説
鮫島尚信
生年:弘化2.3.10(1845.4.16)
明治初期の外交官。父は薩摩(鹿児島)藩医鮫島淳愿。母は須摩。通称誠蔵。変名野田仲平。17歳で長崎に遊学,何礼之に英学を学ぶ。帰藩後,開成所訓導師。慶応1(1865)年英国に留学,ロンドン大学に入る。同3年に渡米,森有礼と共に宗教家トマス・レーク・ハリスの教団に加わったが,その勧めに従い明治1(1868)年6月帰国した。外国官権判事,東京府大参事を経て,同3年少弁務使としてフランスに在勤。同8年帰国し寺島宗則外務卿のもとで外務大輔を務め,同11年再び駐仏公使となる。在勤中の尚信に外交実務の基本を指導した英国人弁護士マーシャルは,その厳しい勉学態度に驚いたという。激務がたたり執務中に死去,モンパルナスの墓地に埋葬された。<参考文献>犬塚孝明『薩摩藩英国留学生』
(犬塚孝明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報