鮫島村(読み)さめじまむら

日本歴史地名大系 「鮫島村」の解説

鮫島村
さめじまむら

[現在地名]富士市鮫島

前田まえだ村の西に位置し、南は駿河湾に面する。中世加島かじま庄のうち。佐目嶋とも記される。「吾妻鏡」治承四年(一一八〇)一〇月二〇日条に、富士川の戦で印東次郎常義が「鮫島」において誅されたとみえる。なお同書同年八月二〇日条には当地出自とみられる鮫嶋四郎宗家・同宣親がみえ、源頼朝の伊豆韮山にらやま(現韮山町)での挙兵直後に馳せ参じている。永禄一二年(一五六九)正月一八日付臨済寺領・天沢寺領等書立土代(臨済寺文書)に定恵院領として河東の進藤周防が知行していた鮫嶋のうち一三貫文分を永代買得して同院領としたとみえる。同年一一月七日今川氏真は鮫島郷五〇貫文の地を四宮惣右衛門尉の遺子に与えている(「今川氏真朱印状」根岸文書)


鮫島村
さめじまむら

[現在地名]磐田市鮫島

小島こじま村の南東にあり、南は遠州灘に面する。東は浜部はまべ村、北は万正寺まんしようじ村。豊田とよだ郡に属する。正保郷帳に鮫島村とみえ高六一二石余、幕府領。うち田方四九六石余・畑方一一一石余、実際じつさい(現曹洞宗)領二石・伊勢神明領一石・天神領一石。水損、新田ありと記される。元禄郷帳では高六四一石余、国立史料館本元禄郷帳では旗本高木領。以後幕末まで同領で、旧高旧領取調帳では七六二石余。享保八年(一七二三)はま新田(現竜洋町)の新田経営をめぐり、同新田庄屋市兵衛と当村からの入作百姓一四人との係争となった(「市兵衛返答書」草崎自治会蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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