鯨伏村・住吉村
いさふしむら・すみよしむら
湯岳村の北西に位置し、南西部に津の上山(角上山)があり、北部に住吉神社が鎮座する。村名は初め鯨伏と称していたが、のち住吉と称するようになり、宝永(一七〇四―一一)初年に鯨伏に復し、さらに村民が困窮したことから元文五年(一七四〇)六月九日に再び住吉に戻したという(壱岐国続風土記)。当村が壱岐島のほぼ中央に立地しながら、いずれの地名も海にかかわることが注目される。また天保郷帳に湯岳村枝郷としてみえる山信村は「壱岐国続風土記」などでは住吉村の枝村となっている。半城村境近くに烽火所が置かれていた(壱岐名勝図誌)。正平二四年(一三六九)の壱岐神領図(壱岐史拾遺)では鯨伏郷の住吉大神の社領九四町のうちとして「布代村」「長川戸」「御津村」「立石村」「深寺村」「石返」がみえるが、後代このうち布代村・長川戸が住吉の地になったと考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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