鰔川村(読み)うぐいかわむら

日本歴史地名大系 「鰔川村」の解説

鰔川村
うぐいかわむら

[現在地名]檜山郡江差町字鰔川町・字水堀町みずほりちよう・字越前町えちぜんちよう

近世から明治三九年(一九〇六)まで存続した村。土場どば村・五厘沢ごりんざわ村の東、小黒部おぐろつぺ村の西、厚沢部あつさぶ川下流の北側に位置し、南は目名めな(現厚沢部町)。近世後期から明治初期にかけて鰔川・中崎なかざき問屋とんや越前の四集落が形成されたという(夏原家文書)。天保郷帳に目名村の枝村として鰔川村とみえる。「蝦夷日誌」(二編)には鮎川村とみえ、人家三〇軒ばかり、生業赤沼あかぬま(現厚沢部町)・小黒部村と同じで、皆炭焼をし、春は海辺へ下り漁をする。畑も少々ある。この辺りまで丸木舟が上ってくるという。目名の沢一帯の産神である社がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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