鰭崎英朋(読み)ヒレザキ エイホウ

20世紀日本人名事典 「鰭崎英朋」の解説

鰭崎 英朋
ヒレザキ エイホウ

明治〜昭和期の挿絵画家



生年
明治14(1881)年8月25日

没年
昭和43(1968)年11月22日

出生地
東京・入船町

本名
鰭崎 太郎

別名
別号=晋司,絢堂

経歴
右田年英川端玉章らに師事、明治33年から朝日新聞連載の栗島狭衣「相撲評話」の挿絵を担当、相撲ファンの評判となった。34年鏑木清方らと烏合会を結成、ここを足場美人画家として活躍したが、その後、新聞小説の挿絵、単行本口絵国定教科書の挿絵などを画いた。後藤宙外「思ひざめ」、泉鏡花「婦系図」「続風流線」、柳川春葉「生さぬ仲」などの代表作がある。昭和3年日本挿画家協会の結成で委員となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鰭崎英朋」の解説

鰭崎英朋 ひれざき-えいほう

1881-1968 明治-昭和時代前期の挿絵画家。
明治14年8月25日生まれ。右田年英(みぎた-としひで),川端玉章にまなび,明治34年鏑木(かぶらき)清方らと烏合(うごう)会を結成。美人画,相撲絵を得意とし,広津柳浪「河内屋」,柳川(やながわ)春葉「生(な)さぬ仲」など新聞や雑誌,単行本の挿絵をかいた。昭和43年11月22日死去。87歳。東京出身。名は太郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「鰭崎英朋」の解説

鰭崎 英朋 (ひれざき えいほう)

生年月日:1881年8月25日
明治時代-昭和時代の挿絵画家
1968年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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