鳥潟小三吉(読み)トリガタ コサンキチ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「鳥潟小三吉」の解説

鳥潟 小三吉
トリガタ コサンキチ


職業
軽業師

本名
鳥潟 幸之助

生年月日
天保13年 4月10日

出生地
羽後国花岡村(秋田県 大館市)

経歴
17歳の頃から大阪で軽業師となり、郷里三吉神社にちなんで小三吉を名乗る。慶応2年(1866年)イギリス人グラントに連れられ、独楽回しの松井源水と共に渡欧。ロンドンで絹糸渡りを披露し、世界一と賞された。のちトリカタ一座を結成してヨーロッパ巡業を行い、各地で評判となった。明治6年にはドイツ人女性と結婚。9年妻子を伴って帰国し、西洋大軽業と銘打って日本全国で興行を行った。15年足芸の三丁梯子や肩芸の一本竹などを含む新編成の一座で再び渡欧。ドイツでは皇帝天覧のもとで公演を行い勲章を授かるなど、その評判は前にも増して高まった。しかし、23年に帰国したのちは、意外な不評に苦しみ、間もなく一座を解散。この間、郷里花岡村に洋風の豪邸を建て、晩年はそこで読経を専らとした。

没年月日
明治42年 10月15日 (1909年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

朝日日本歴史人物事典 「鳥潟小三吉」の解説

鳥潟小三吉

没年:明治42.10.15(1909)
生年:天保13.4.10(1842.5.19)
幕末明治期の軽業師。羽後国花岡村(秋田県大館市)の生まれ。本名は幸之助。大坂へ出て軽業師になる。慶応2(1866)年英人グラントに連れられて松井源水らと渡英,ロンドンでは世界一の絹糸渡りと喧伝された。「東洋の黄色人種」として檻に入れられ見世物にされたという話も伝わっている。明治6(1873)年ドイツ人ファニー(日本での表記はフハンネエ)・ビルツルと結婚。妻子を連れて帰国した9年,この国際結婚は大きな話題となった。15年に再渡欧したときはドイツ皇帝の天覧を得,24年ごろ帰国。郷里で豪勢な余生を送ったという。<参考文献>渡部誠一郎『海外にはばたいた秋田の先覚

(倉田喜弘)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鳥潟小三吉」の解説

鳥潟小三吉 とりがた-こさんきち

1842-1909 幕末-明治時代の軽業師。
天保(てんぽう)13年4月10日生まれ。出羽(でわ)花岡村(秋田県)の人。慶応2年渡欧。のち同地でトリカタ一座を結成し,各国を巡業。ドイツ人女性を妻として明治9年帰国したが,15年再渡欧し,24年帰国。まもなく廃業し,郷里で優雅な余生をおくったという。明治42年10月15日死去。68歳。本名は幸之助。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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