鳥潟小三吉(読み)とりがた・こさきち

朝日日本歴史人物事典 「鳥潟小三吉」の解説

鳥潟小三吉

没年:明治42.10.15(1909)
生年天保13.4.10(1842.5.19)
幕末明治期の軽業師。羽後国花岡村(秋田県大館市)の生まれ。本名は幸之助。大坂へ出て軽業師になる。慶応2(1866)年英人グラントに連れられて松井源水らと渡英,ロンドンでは世界一の絹糸渡りと喧伝された。「東洋の黄色人種」として檻に入れられ見世物にされたという話も伝わっている。明治6(1873)年ドイツ人ファニー(日本での表記はフハンネエ)・ビルツルと結婚。妻子を連れて帰国した9年,この国際結婚は大きな話題となった。15年に再渡欧したときはドイツ皇帝の天覧を得,24年ごろ帰国。郷里で豪勢な余生を送ったという。<参考文献>渡部誠一郎『海外にはばたいた秋田先覚

(倉田喜弘)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鳥潟小三吉」の解説

鳥潟小三吉 とりがた-こさんきち

1842-1909 幕末-明治時代の軽業師。
天保(てんぽう)13年4月10日生まれ。出羽(でわ)花岡村(秋田県)の人。慶応2年渡欧。のち同地でトリカタ一座を結成し,各国巡業。ドイツ人女性を妻として明治9年帰国したが,15年再渡欧し,24年帰国。まもなく廃業し,郷里で優雅な余生をおくったという。明治42年10月15日死去。68歳。本名は幸之助。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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