鳥町(読み)とりまち

日本歴史地名大系 「鳥町」の解説

鳥町
とりまち

[現在地名]小倉北区魚町(うおまち)一―三丁目

魚町の東にある南北の町並で、北は米(こめ)町三―四丁目。慶長年間(一五九六―一六一五)岡野知定が当町一丁目に居住、麹屋を営み、中津屋と称した。同じ一丁目の紙屋は長野氏家臣の稗田貞惟を祖とし、紙・煙草を扱った。麹屋を屋号とした細川氏家臣蜂谷氏は嘉元を祖とする(小倉商家由緒記)。江戸後期の町屋敷図では町家は一丁目に三三軒で、酒造家の紙屋(稗田彦右衛門)・島屋(柴崎源兵衛)、麹製造の麹屋(峰谷喜三郎)・中津屋(岡野三郎右衛門)などが住した。二丁目は三一軒で、酒造家の米屋(松尾平左衛門)、手習い師匠の筆屋(高崎七左衛門)、小倉藩の桶を製造していた桶屋の樽屋(兵左衛門)、同じく桶屋の津田屋(七三郎)、紺屋の花屋(文六)などがあった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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