鳥籠山・不知也川
とこのやま・いさやがわ
鳥籠山は壬申の乱の戦場として「日本書紀」にみえ、不知也川は「万葉集」巻四に「淡海路の鳥籠の山なる不知哉川日のころごろは恋ひつつもあらむ」と鳥籠山と読合せてうたわれている。中世の歌学書にも取上げられ、紀行文にもその名が散見される。大堀町(旧犬上郡)内を流れる芹川沿いの大堀山の字名を鳥籠山といい、隣接する正法寺町(旧坂田郡)にあった小丘陵(正法寺山、現在は削平されている)にも鳥籠山の小字名がある。そのため鳥籠山を大堀山・正法寺山に比定する二つの説があるが、不知也川は大堀川(芹川)に比定されるので、鳥籠山は大堀山をさすとするのが妥当と思われる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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