鳥飼荘(読み)とりかいのしょう

百科事典マイペディア 「鳥飼荘」の意味・わかりやすい解説

鳥飼荘【とりかいのしょう】

淡路国三原郡にあった石清水(いわしみず)八幡宮領の荘園。兵庫県津名郡五色(ごしき)町南部(現・洲本市)に比定される。1185年の源頼朝下文案には鳥養荘とみえる。1223年の〈淡路国大田文〉によれば,田30町と畠,浦一所からなり,地頭は国御家人藤三守長であったが,承久の乱後関東御家人の佐野七郎入道が任じられた。荘内には石清水八幡宮別宮の鳥飼別宮が勧請されていた。1264年ごろから石清水八幡宮と地頭佐野富綱との間で,検注,地頭得分,船所の経営,鳥飼別宮の社官の任命・神事など,荘園内の所務をめぐる争いが起こり,1278年和与(わよ)となった。だがこの和与の遵守をめぐって争いが再燃し,1287年再度和与の内容が確認された。1445年の〈兵庫北関入船納帳〉によれば,石清水八幡宮へ運ばれる当荘の年貢は,船で兵庫津で陸揚げされた。

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改訂新版 世界大百科事典 「鳥飼荘」の意味・わかりやすい解説

鳥飼荘 (とりかいのしょう)

淡路国三原郡(現,兵庫県洲本市)の荘園。石清水八幡宮領で,1185年(文治1)同宮領淡路国鳥養荘として史料にみえる。現地の鳥飼別宮が領家か預所である。1223年(貞応2)の〈淡路国大田文〉によると,田数30町・畠・浦1所とある。承久の乱以前の下司は藤三守長だが,乱後地頭として佐野七郎入道が配置された。その後,1278年(弘安1)以前に鳥飼別宮と地頭佐野富綱とのあいだで行政上の争いがおこり,同年いったん和解したが,争いが再燃し87年鎌倉幕府の裁許をうけている。行政上の争いは,地頭佐野氏の経済的収入や行政上の権限をめぐる雑多な内容である。荘民の有力者に八幡宮神人たちがいて,これが領家方を支持し地頭と対抗した。これはその後もつづき1288年(正応1)にも六波羅府の下知をうけている。なお浦1所には船所がおかれて,水運管理にあたっていた。
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