日本歴史地名大系 「鳥養下之村」の解説 鳥養下之村とりかいしものむら 大阪府:摂津市鳥養下之村[現在地名]摂津市鳥飼下(とりかいしも)一―三丁目・鳥飼下・鳥飼中(とりかいなか)一丁目・鳥飼西(とりかいにし)一―四丁目・鳥飼野々(とりかいのの)・鳥飼八町(とりかいはつちよう)など鳥養中之村の西下手に位置し、北は安威(あい)川を挟んで島(しま)村(現茨木市)、南は淀川。淀川堤上を大坂街道が通り、集落はこの街道と大(おお)池に続く大池縄手沿いに連なる。室町時代は菊亭教季知行の鳥養牧「三ケ村」の一であったと考えられる(→鳥養牧)。寛永―正保期(一六二四―四八)の摂津国高帳には「鳥養ノ内下村」として一千五一五石が高付される。村高のうちに川中畑二五石が含まれ(天保八年「郡秘録」三嶋家文書)、享保二〇年(一七三五)の摂河泉石高調、天保郷帳などは、この川中畑分を村高から除いている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報