日本歴史地名大系 「鴨地村」の解説 鴨地村かもじむら 高知県:土佐市鴨地村[現在地名]土佐市東鴨地(ひがしかもじ)・西鴨地(にしかもじ)宮(みや)ノ内(うち)村の東、宮ノ内川流域にあるが、川の左岸では戸波(へわ)本村が入りこんでいる。戸波郷に属し、天正一七年(一五八九)の戸波郷地検帳にみえる賀茂地(かもじ)村(賀茂路村)・マ子(ね)村などの一部が江戸時代の村切によって鴨地村となったもので、一部は戸波本村となった。「土佐州郡志」に「東加茂地村 在宮之内村東、其西接本村、東西一町許南北十町余、東西北皆山也」とあるのは現東鴨地で、「加茂地此曰戸波本村、東西三町余、其土雑砂」とある加茂地のなかには現西鴨地も含まれると考えられる。享和元年(一八〇一)の「西郡廻見日記」には東鴨地村・西鴨地村がみえる。 鴨地村かもじむら 高知県:高岡郡日高村鴨地村[現在地名]日高村鴨地長畑(ながばた)村の西にあり、「加茂地」とも書く(元禄郷帳)。能津(のうづ)村の枝郷で、仁淀(によど)川を隔てて西は吾川(あがわ)郡黒瀬(くろせ)村(現高岡郡越知町)。天正一八年(一五九〇)の能津村地検帳に小村として鴨地村・鴨路がみえ、能津氏家臣永田一族の持地で永田治部の居屋敷があった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by