日本歴史地名大系 「鴨志田村」の解説 鴨志田村かもしだむら 神奈川県:横浜市緑区鴨志田村[現在地名]緑区鴨志田町・寺家(じけ)町・たちばな台(だい)一―二丁目・若草台(わかくさだい)・すみよし台(だい)・桂台(かつらだい)二丁目東は鶴見(つるみ)川(谷本川)の対岸の鉄(くろがね)村・上谷本(かみやもと)村、南は成合(なりあい)村・恩田(おんだ)村、西は奈良(なら)村、北は寺家村および多摩郡三輪(みわ)村(現東京都町田市)と接する。村内に成合村飛地がある。川沿いに平地があるが、中央から西部は丘陵がちで、谷戸が入込む。「風土記稿」は松山谷・金久保(かなくぼ)・台という小名を記す。永仁(一二九三―九九)頃と推定されている恩田殿宛の武蔵国留守所代連署書状(早稲田大学蔵)に府内分倍(ふないぶばい)河(現東京都府中市)堤防の修築に際しての「恩田鴨志田所課分」を「両郷」が難渋しているとある。文和三年(一三五四)一一月一八日の村岡藤内兵衛入道宛の二階堂成藤奉書案(県史三)によると、「武蔵国鴨志田郷之内比企弥太郎跡」をめぐって久下千松丸と恩田左近将監とが相論を起こしている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by