日本歴史地名大系 「長津田村」の解説 長津田村ながつだむら 神奈川県:横浜市緑区長津田村[現在地名]緑区長津田町・いぶき野(の)・長津田一―七丁目・恩田(おんだ)町・田奈(たな)町・しらとり台(だい)・霧が丘(きりがおか)二丁目・同六丁目、瀬谷(せや)区卸本(おろしほん)町都筑(つづき)郡の西南端に位置し、北は恩田川を境に恩田村、東は十日市場(とおかいちば)村、南は上川井(かみかわい)村(現旭区)および相模国鎌倉郡瀬谷村(現瀬谷区)、西は多摩(たま)郡の鶴間(つるま)・小川(おがわ)・成瀬(なるせ)各村(現東京都町田市)に接する。川沿いを除いてまったくの丘陵地帯で、「風土記稿」は「村内すべて山丘重畳して」と記す。矢倉沢(やぐらさわ)往還が北の恩田村より西南の瀬谷村に抜ける。当村はその馬継場で、荏田(えだ)村より二里、鶴間村へ一里一〇町の道のりに位置する。神奈川道が神奈川宿(現神奈川区)から十日市場村との境泣(なき)坂を経て村内に入り、矢倉沢往還と交差してさらに西進し、八王子に通じる。道沿いの市(いち)ヶ原(はら)では物々交換を行ったと伝える。貞和五年(一三四九)三月一五日の祖広寄進状(県史三)には「武蔵国津田郷」とみえ、同郷内の長福(ちようふく)寺前住清渓浩和尚塔所料所恩田(おんだ)御厨内田嶋(たじま)郷の田一町一反、在家一宇が鎌倉円覚寺正続(しようぞく)院へ寄進されている。この津田郷が当地のこととされる。小田原衆所領役帳に御家門方葛西様「三拾壱貫弐百六拾文 小机長津田」とある。天正一九年(一五九一)旗本岡野領。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by