日本歴史地名大系 「寺家村」の解説
寺家村
じけむら
- 広島県:東広島市
- 寺家村
西条盆地北部、
地名は建武三年(一三三六)三月八日の桃井義盛下文(熊谷家文書)にみえ、「西条郷内寺家分地頭職」が熊谷直経に預け置かれた。室町・戦国時代は大内氏の治下にあり、応仁の乱で
寺家村
じけむら
- 石川県:珠洲市
- 寺家村
寺家村
じけむら
東側の
天正九年(一五八一)七月二八日の大曾根飛騨守宛の北条家着到定書写(県史三)によると、「寺家鴨志田」二七貫二〇〇文の地から四人の兵役が命じられている。寺家・鴨志田の小領主大曾根氏は、江戸時代には当村の名主を勤めている(横浜市史)。文久二年(一八六二)の申渡(県史八)によると、大曾根甚五左衛門に永代苗字免許の下知状が出されている。
寺家村
じけいむら
- 富山県:滑川市
- 寺家村
寺家村
じけむら
寺家村
じけむら
寺家村
じけむら
寺家村
じけむら
寺家村
じけむら
寺家村
じけむら
寺家村
じけむら
吉野川の北岸で、南下する
天正一七年(一五八九)の本山郷地検帳に村名がみえ、検地面積一三町六反二二代、うち田分三町九反一代四歩、畠分七町九反四七代、屋敷数二一で一町七反二三代二歩。散田分が大部分を占め、一部に山之坊領、また一筆に長宗我部家臣の給地がみられる。同年の本山郷高山切畑地検帳によれば六筆五反四一代四歩の切畑があり、すべて散田分で小麦と記される。小字「寺中」に二反二歩下ヤシキ山之坊がみられるが、慶長二年(一五九七)一〇月吉日付の国分寺千部経帳(皆山集)には奉行衆分に「本山 山之坊」がみえ、さらに秦氏政事記(蠧簡集)に「本山 庄屋二反七代山之坊」と記され、山之坊が庄屋や奉行衆の一寺として長宗我部氏に貢献していたことが知られる。
寺家村
じけむら
寺家村
じけむら
寺家村
じけむら
寺家村
じけむら
- 群馬県:前橋市
- 寺家村
北から北東にかけて
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報