神通川左岸の鵜坂集落中央にあり、旧県社。社伝によれば、崇神天皇の代に四道将軍大彦命により創建、白雉年間(六五〇―六五四)社殿再興、元正天皇の代に行基が七堂伽藍・二四院を造立したと伝える。「延喜式」神名帳の婦負郡七座の一つとされる。「万葉集」巻一七によれば、天平二〇年(七四八)春大伴家持は「婦負郡の坂川の辺にして」次の歌を作った。「
坂
坂川は当神社境域を流れる神通川のことという。「続日本後紀」承和一二年(八四五)九月一日条、「三代実録」貞観二年(八六〇)五月二九日条・同四年一〇月九日条・同五年八月一五日条・同九年二月二七日条に鵜坂神などの授位の記事がみえ、同九年の場合は従三位に叙せられている。また「朝野群載」によれば、承暦四年(一〇八〇)および康和五年(一一〇三)の六月一〇日行事御体の御卜には鵜坂神社が卜奏を担当している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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