日本歴史地名大系 「鵜猟河瀬村」の解説 鵜猟河瀬村うりようがせむら 大分県:大分市旧鶴崎市地区鵜猟河瀬村[現在地名]大分市鶴瀬(つるせ)大野川と乙津(おとづ)川に挟まれた輪中地域に位置し、東は下徳丸(しもとくまる)村・亀甲(かめこう)村・大鶴(おおつる)村。江戸時代を通じて肥後熊本藩領。高田手永洲ヶ在八ヵ村のうち。文化一〇年(一八一三)当時庄屋は亀甲村庄屋が兼帯していた(高田風土記)。寛永一一年(一六三四)の同藩豊後国郷帳に爪生ヶ瀬村とみえ高一七三石余。正保郷帳も同高ですべて畑高、水損所、高田(たかた)庄と付記。文化一〇年の反別は畑方一八町七反余、竈数五四・人数二六〇。このほか大鶴村民の居宅一三、馬一二。日雇・他所働きする者多く、大工・木挽・左官・屋根葺などもいた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報