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鵜飼錬斎 うかいれんさい

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

鵜飼錬斎
うかいれんさい

[生]慶安1(1648).京都
[没]元禄6(1693).4.11. 江戸
江戸時代前期の朱子学派の儒学者。京都の人。山崎闇斎に学ぶ。彰考館総裁。『大日本史』編纂に参与。『通鑑綱目』『通鑑前編』『通鑑綱目続編』など 111巻を校訂訓読して刊行。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

鵜飼錬斎 うかい-れんさい

1648-1693 江戸時代前期の儒者。
慶安元年生まれ。鵜飼石斎の次男。鵜飼称斎の兄。父と山崎闇斎(あんさい)にまなぶ。延宝6年常陸(ひたち)水戸藩の彰考館にはいり,「大日本史」の編修にあたる。元禄(げんろく)5年同館総裁。「資治通鑑綱目(しじつがんこうもく)」などでの訓点(金平点)で知られる。元禄6年4月11日死去。46歳(一説に61歳)。京都出身。名は真昌。字(あざな)は子欽。通称は金平。著作に「二鵜詩集」(称斎との共著)。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

鵜飼錬斎

没年:元禄6.4.11(1693.5.15)
生年:慶安1(1648)
江戸前期の儒学者。水戸藩士。字は子欽,通称は金平,錬斎は号。鵜飼石斎(那波活所の門人)の次男として京都で生まれる。山崎闇斎の門に学んだのち,佐々十竹の推薦で延宝6(1678)年から藩主徳川光圀に仕え,彰考館に入って『大日本史』の編纂に従事。貞享3(1686)年に300石。十竹らと共に京都方面の史料収集に活躍し,元禄5(1692)年小納戸役で彰考館総裁に任ぜられたが,翌年病没。宋学に造詣深く,『通鑑綱目』など111巻を校訂訓読して刊行,これは世に金平点として知られている。<参考文献>吉田一徳『大日本史紀伝志表撰者考』,『水戸市史』中巻(1)

(鈴木暎一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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