鶉郷(読み)うずらごう

日本歴史地名大系 「鶉郷」の解説

鶉郷
うずらごう

現岐阜市鶉一帯に成立していた。京都長講堂領平田ひらた庄の内。のち鶉田郷と称された。永久五年(一一一七)一二月二三日の鳥羽天皇宣旨案(東南院文書)に「鶉郷」とみえ、源光国の私領で、奈良東大寺茜部あかなべ庄の西に隣接する郷であったが、光国の父国房が茜部庄司であった時に、同庄の西境示を掘取り、東西二町・南北一〇余町を当郷に加えようとしたため、茜部庄司を解任された。当郷の郷司は武威により茜部庄の百姓を追出し、その跡を勝手に耕作させ、また住民も茜部庄内の牛馬雑物を盗み、庄民を殺害し、舎宅を焼失させたため、茜部庄民が犯人を捕らえ当郷の郷司に訴えたがこれを無視したとしている。天治元年(一一二四)六月一〇日、東大寺は光国が押領した茜部庄内の土地を、当郷の別符と号して押領を続けていると訴え、同月二〇日、茜部庄の西境を糾明し定めるべきことが、美濃国衙に命ぜられている(「官宣旨」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

ベートーベンの「第九」

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android