日本歴史地名大系 「鶴ヶ岡村」の解説 鶴ヶ岡村つるがおかむら 青森県:五所川原市鶴ヶ岡村[現在地名]五所川原市鶴ヶ岡岩木川下流右岸に位置し、南は高瀬(たかせ)村、北は藻川(もがわ)村に接する。貞享四年(一六八七)の検地帳に田方一一〇町三反一四歩・畑方八町六反七畝二六歩、田畑屋敷合せて一一八町九反八畝一〇歩、村高八四七・二八二石、留林二ヵ所とある。「平山日記」は寛永年間(一六二四―四四)から開発された五所川原新田の一つとし、「鶴ケ岡御新田懸堰も湊村ニ而十川留上口付申候」とある。 鶴ヶ岡村つるがおかむら 埼玉県:入間郡大井町鶴ヶ岡村[現在地名]大井町鶴ヶ岡・鶴ヶ岡一―五丁目・西鶴(にしつる)ヶ岡(おか)一―二丁目・緑(みどり)ヶ丘(おか)二丁目亀窪(かめくぼ)村の東、新河岸川右岸の台地に立地。南北に川越街道が通る。また三(み)ヶ島(じま)村(現所沢市)から扇(おうぎ)河岸(現川越市)へ通じる道が川越街道に交差していた。貞享二年(一六八五)の武蔵野秣場争論の訴状(奥貫家文書)に「鶴岡新田」とみえ、それ以前に川越藩領の新田として開発されたとみられる。「風土記稿」には貞享三年検地されて立村したとある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報