中山道
天正一八年(一五九〇)に関東に入国した徳川家康は全国支配体制を確立するなかで道路網を整備していくが、こうした施策に基づいていわゆる五街道の制が定められる。同時に脇往還も整備されることになるが、川越街道も有力家臣の城下町川越と江戸を結ぶ道路として整備されている。田園簿の武蔵国道法には「江戸牛込御門より熊谷迄道法」として川越街道のことが記されている。ここに記された道法・道幅・橋梁の長さなどは次のとおりである。
江戸時代に中山道板橋宿(下板橋宿)のうちの
江戸時代の川越往還の前身となる中世の道筋が主要な幹線道として整備される大きな契機となったのは、享徳三年(一四五四)に勃発した享徳の乱であった。同乱で扇谷上杉氏は古河公方勢力に対抗するうえで河越・江戸・
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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