日本歴史地名大系 「鶴ヶ谷村」の解説 鶴ヶ谷村つるがやむら 宮城県:仙台市旧宮城郡地区鶴ヶ谷村[現在地名]仙台市鶴ヶ谷・鶴ヶ谷一―八丁目小鶴(こづる)村の西にあり、村内を原町(はらのまち)宿より石巻(いしのまき)方面などに至る街道が通る。北は七北田(ななきた)川右岸に臨む。天正二年(一五七四)四月七日の留守政景宛行状案(大島正隆採訪留守文書)によれば、留守氏家臣の郷古和泉は鶴谷での手柄により「波嶋村之内三千刈」を与えられている。「仙台領古城書上」に笹森(ささもり)城とみえ、城主は鶴谷次郎で天正年間まで居城したという。天文期(一五三二―五五)の成立とされる留守分限帳(留守文書)の里之人数のなかに「鶴かやふせん 六千三百かり 二貫二百地 以上十四貫八百分」とある。 鶴ヶ谷村つるがやむら 群馬県:勢多郡新里村鶴ヶ谷村[現在地名]新里村鶴ヶ谷山上(やまかみ)村の東に位置し、南・北を丘陵地に囲まれた谷状の地域に集落がある。寛文郷帳では山上村に含まれ、のち独立村となる。元禄郷帳によると高一〇六石余、前橋藩領。天明六年(一七八六)の淀藩領勢多郡郷村高帳(国立史料館蔵)では一六五石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by