新撰 芸能人物事典 明治~平成 「鶴沢勝七」の解説 鶴沢 勝七(2代目)ツルザワ カツシチ 職業義太夫節三味線方(文楽) 本名久野 友太郎 生年月日天保11年 出生地播磨国姫路(兵庫県) 経歴大阪で三味線修業の後、安政元年稲荷東門芝居へ出る。文久年間の初めに鶴沢五助となり、慶応元年文楽芝居で佳太夫を弾いた。明治16年彦六座とともに上京し、以後東京に留まった。 没年月日明治33年 10月4日 (1900年) 伝記道八芸談 鶴沢 道八 著,鴻池 幸武 編(発行元 ぺりかん社 ’87発行) 鶴沢 勝七(4代目)ツルザワ カツシチ 職業義太夫節三味線方(文楽) 本名小林 松之助 別名前名=鶴沢 松之助,鶴沢 玉助 生年月日文久2年 出生地大坂(大阪府) 経歴明治7年2代目鶴沢勝七に入門、松之助。14年鶴沢玉助を名乗り、大正4年4代目勝七を襲名した。 没年月日大正14年 10月 (1925年) 出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鶴沢勝七」の解説 鶴沢勝七(2代) つるざわ-かつしち 1840-1900 幕末-明治時代の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。天保(てんぽう)11年生まれ。初代勝七に入門,のち2代鶴沢清六にまなぶ。嘉永(かえい)7年初舞台。鶴沢玉助をへて慶応元年2代勝七を襲名。明治17年大阪の彦六座の旗揚げに参加,4代竹本住太夫(すみたゆう)の三味線方をつとめた。明治33年10月4日死去。61歳。播磨(はりま)(兵庫県)出身。本名は久野友太郎。初名は鶴沢友太郎。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by