20世紀日本人名事典 「鶴田賢次」の解説 鶴田 賢次ツルタ ケンジ 明治・大正期の物理学者 三角体温計の考案者。 生年慶応4年2月(1868年) 没年大正7(1918)年6月10日 出生地江戸 学歴〔年〕帝国大学卒 学位〔年〕理学博士 主な受賞名〔年〕勲五等勲五等 経歴鶴田伊尹の3男として生まれる。明治23年東京帝国大学理科大学大学院に進学、26年同大助教授に就任。32年ドイツ、オランダに留学し帰国後、教授として活躍。熱力学と電気を研究し、この業績により勲五等を受賞。のち中野硬質ガラス製造所を設立、三角形体温計を発明考案、体温計を日本に普及させたことでも知られる。尾崎紅葉、川上眉山と交遊があった。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鶴田賢次」の解説 鶴田賢次 つるた-けんじ 1868-1918 明治-大正時代の物理学者。慶応4年2月生まれ。明治32年ドイツ,オランダに留学,帰国後東京帝大教授となる。熱力学と電気を研究し,三角型体温計をつくった。文章にもすぐれ,尾崎紅葉,川上眉山と交遊があった。大正7年6月10日死去。51歳。帝国大学卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by