鷲城跡(読み)わしじようあと

日本歴史地名大系 「鷲城跡」の解説

鷲城跡
わしじようあと

[現在地名]小山市外城

おもい川左岸の標高三〇―三五メートルの台地にある。東側は鎌倉街道に接する交通の要衝に位置していた。遺構は南北五〇〇メートル・東西二〇〇メートルの範囲に確認される。伝承では鎌倉時代の小山氏の館と伝えるが地形・遺構などから小山氏一一代の義政の頃、南北朝期の修築または築城と推定される。康暦二年(一三八〇)から永徳二年(一三八二)に及ぶ小山義政の乱の頃には、小山氏の本城であったとされる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

[生]1936.2.20. 千葉,臼井プロ野球選手,監督。佐倉第一高等学校から立教大学を経て,1958年に東京読売巨人軍(読売ジャイアンツ)に入団。右投げ右打ちの強打の三塁手として,入団 1年目に本塁...

長嶋茂雄の用語解説を読む