鷲城跡
わしじようあと
[現在地名]小山市外城
思川左岸の標高三〇―三五メートルの台地にある。東側は鎌倉街道に接する交通の要衝に位置していた。遺構は南北五〇〇メートル・東西二〇〇メートルの範囲に確認される。伝承では鎌倉時代の小山氏の館と伝えるが地形・遺構などから小山氏一一代の義政の頃、南北朝期の修築または築城と推定される。康暦二年(一三八〇)から永徳二年(一三八二)に及ぶ小山義政の乱の頃には、小山氏の本城であったとされる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報
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