鷲林寺(読み)じゆうりんじ

日本歴史地名大系 「鷲林寺」の解説

鷲林寺
じゆうりんじ

[現在地名]西宮市鷲林寺町

観音かんのん山東麓にある古代以来の寺院。南北朝―室町時代に発展した。六甲山と号し、高野山真言宗本尊十一面観音。開基については法道とする説や、天長五年(八二八)如意尼神呪かんのう寺とともに開いたとする説などがあるが詳細は不明。参道脇に鎌倉時代後期の石造七重塔がある。鎌倉末期から寺僧らが活発に庄園所職の獲得と土地集積を行っており、元応三年(一三二一)正月二五日の吹田又二郎田地売券(大徳寺文書)に、鷲林寺の上総君が吹田又二郎から武庫むこ西条五条一五里四坪の田地一八〇歩を購入したことがみえ、文和四年(一三五五)一二月二三日の沙弥宗正田地去状(同文書)鳴尾なるお庄の下司とみえる鷲林寺石井坊は、康安二年(一三六二)二月一一日の神奴兼貞田地売券(同文書)では広田ひろた社郷内七条一二里一坪の田地一反を買得している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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