20世紀日本人名事典 「鷹司煕通」の解説 鷹司 煕通タカツカサ ヒロミチ 明治・大正期の陸軍少将,公爵 侍従長。 生年安政2年2月16日(1855年) 没年大正7(1918)年5月17日 経歴五摂家の一つ鷹司家の当主・輔煕の第11子に生まれる。幼時出家し三宝院を相続するが、のち還俗して鷹司侯爵家を継ぐ。明治5年ドイツに留学し軍事研修、11年帰国し陸軍戸山学校に入学。12年歩兵少尉、のち少将まで昇進する。のち侍従武官となり、馬術に優れていたことから明治天皇の乗馬の相手を務め、また自邸でも常に名馬を飼育していた。大正元年侍従長となり、公私にわたる相談役として大正天皇に仕えた。7年3月東京麻布本村町の自宅にて脳溢血で倒れ、5月死去。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鷹司煕通」の解説 鷹司煕通 たかつかさ-ひろみち 1855-1918 明治-大正時代の軍人。安政2年2月16日生まれ。鷹司輔煕(すけひろ)の子。幼時に出家したが,還俗(げんぞく)して鷹司公爵家をつぐ。明治5年ドイツに留学し,帰国後陸軍戸山学校に入学。侍従武官などをへて大正元年侍従長となった。陸軍少将。大正7年5月17日死去。64歳。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by