朝日日本歴史人物事典 「鷹司輔煕」の解説
鷹司輔煕
生年:文化4.11.7(1807.12.5)
幕末維新期の公家(摂家)。鷹司政通の子。安政4(1857)年右大臣となり,翌年の条約勅許問題では,幕府寄りの関白九条尚忠と対立。同年8月の「戊午の密勅」降下に関与したため,安政の大獄(1858~59)によって辞官・落飾・慎を余儀なくされた。文久2(1862)年赦免され,国事御用掛に就任。翌年には関白・内覧となるが,尊攘派に利用されることが多く,同年8月18日の政変で失脚,まもなく辞職に追い込まれた。その後も国事御用掛にとどまり,朝政に関与するが,父政通ほどの器量,知略もなく,暴なる性質であったという。
(箱石大)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報