日本大百科全書(ニッポニカ) 「鹿沼藩」の意味・わかりやすい解説
鹿沼藩
かぬまはん
江戸時代の前半期に下野(しもつけ)国鹿沼(栃木県鹿沼市)に置かれた譜代(ふだい)大名の小藩。戦国時代には壬生(みぶ)氏の居城であったが、1590年(天正18)壬生氏の滅亡後は、日光への入口として徳川家譜代の大名領となり、1635年(寛永12)将軍家光(いえみつ)の側近である阿部重次(あべしげつぐ)が1万3000石で封ぜられて藩が成立した。その後、1649年(慶安2)家光側近の内田正信(まさのぶ)が1万5000石で入封したが、その領地は周辺には7村、4700石にすぎず、大部分は下総(しもうさ)国(千葉県)にあった。正信は将軍家光が死ぬと阿部重次らとともに殉死した。1724年(享保9)3代正偏(まさゆき)は乱心のため蟄居(ちっきょ)となり、その子正親(まさちか)は減封のうえ領地を下総国小見川(おみがわ)に転じ廃藩となった。
[奥田謙一]
『『鹿沼市史 前・後編』2冊(1968・鹿沼市)』