黄金の門(読み)オウゴンノモン

デジタル大辞泉 「黄金の門」の意味・読み・例文・類語

おうごん‐の‐もん〔ワウゴン‐〕【黄金の門】

Zoloti vorotaЗолоті воротаウクライナの首都キーウの市街中心部にある門。11世紀前半、キエフ大公ヤロスラフ1世により城壁とともに建造。13世紀半ばにモンゴル帝国侵略により破壊。現在の建物は1980年代に再建されたもの。
Zolotïe VorotaЗолотые ворота》ロシア連邦西部、ウラジーミル州の都市ウラジーミルにある城門。12世紀半ばに城壁の一部として、アンドレイ=ポゴリュープスキーの命によりを模して建造された。門の上部に礼拝堂があり、現在は13世紀のモンゴル侵略に関する歴史博物館として公開されている。1992年、ウスペンスキー大聖堂ドミトリエフスキー聖堂とともに「ウラジーミルとスーズダリ白亜の建造物群」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

世界の観光地名がわかる事典 「黄金の門」の解説

おうごんのもん【黄金の門】

ウクライナの首都キエフにある、市の正門。11世紀前半、ヤロスラフ賢公によってキエフ市街を取り囲む城壁が築かれ、コンスタンチノープルの例に倣って、町の公式の入り口として造られた。モンゴルの侵攻によって破壊されたが、1982年に再建された。◇建設時は、門の上に建てられた教会金箔ドーム遠くからでも輝いて見えたのでこの名称があり、内部にはオリジナルの門の廃墟が保存されている。ムソルグスキー作曲「展覧会の絵」のフィナーレ、「キエフの大門」で知られる。

出典 講談社世界の観光地名がわかる事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の黄金の門の言及

【ウラジーミル】より

…クニャギーニン女子修道院内のウスペンスカヤ聖堂(15~16世紀)は,ロシアの聖堂に多い3層の蓮弁状破風を備え,堂内の壁画は同時代の豊富な図像で知られる。12世紀に建設された市門のうち唯一の遺構が〈黄金の門〉(1164。現在のものは17~18世紀に再建されたもの)で,当時の軍事工学の水準を伝える。…

※「黄金の門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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