黎桓
れいかん
Lê Hoan
[生]941
[没]1005
ベトナム,前黎朝 (→黎朝 ) の創始者 (在位 980~1005) 。ベトナム音でレ・ホアン。諡は大行皇帝。清化 (タンホア) 省愛州の人。初め丁朝に仕え十道将軍となり,丁部領の没後,太后楊氏と結び,新帝丁せんの摂政となって政治の実権を握った。 980年宋軍の侵入を前にして擁立されて帝位につき,新王朝を創立した。都は丁朝と同じ寧平 (ニンビン) 省の華閭 (ホアル) に定めた。即位後まず宋軍を撃破して大勝利を得た。次いで宋との間に友好関係を深めた。一方,982年には南隣のチャンパに親征し,その都を陥れている。没後,第3子の中宗龍鉞が即位 (05) したが,わずか3日で第5子龍てい (在位 05~09) がこれを殺して即位した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の黎桓の言及
【ベトナム】より
…ゴ・クエンの死後,各地の土豪([スークアン](使君)と呼ばれた)の割拠時代を経て,966年下部デルタ水上勢力の雄[ディン・ボ・リン](丁部領)が諸勢力を平定して,ホアル(華閭)に都し,国号をダイコベト(大瞿越)と称した。リンの死後,[レ・ホアン](黎桓)が帝位を奪い,宋の干渉軍をバクダン川(白藤江)で破り,他方,中部ベトナムに栄えていた林邑の後継である[チャンパ]に遠征して南辺を固めた。993年宋はホアンを交趾郡王に封じ,その独立を承認した。…
【レ・ホアン】より
…ベトナムの前レ(黎)朝の創始者。在位980‐1005年。タインホアの出身。[ディン・ボ・リン](丁部領)に仕え,リンのベトナム統一後,十道将軍となって軍権を握った。979年にリンと太子のリエン(璉)が暗殺されるや,6歳の幼帝を立ててみずからは摂政にのぼり,副王と称して反対者を次々に倒した。980年に宋はディン(丁)朝の壊滅を聞いて侯仁宝に命じ,ベトナムに進攻させようとした。これに対しベトナムの諸将はレ・ホアンを帝位に推した。…
※「黎桓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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