日本歴史地名大系 「黒鴨村」の解説 黒鴨村くろがもむら 山形県:西置賜郡白鷹町黒鴨村[現在地名]白鷹町黒鴨深山(みやま)村の北西、実淵(さねぶち)川流域にある。北方茎(くき)ノ峯(みね)峠を越えて萱野(かやの)(現西村山郡大江町)を経て寒河江(さがえ)川沿いに下り、大井沢(おおいさわ)(現同郡西川町)に至る行者道(道智通)が通り、米沢藩の本口番所が置かれていた。近世初期の邑鑑に村名がみえ、高一〇六石余、免二ツ八分、家数八四(うち役家六、肝煎・小走二)・人数一七二、役木として漆・桑・青苧をあげる。蒲生氏高目録帳では村柄は上。於新砥万覚(青木文書)慶安元年(一六四八)七月の記事にみえる「鮎貝惣村ノせき」は現在、当地で実淵川より取水し、深山―鮎貝(あゆかい)―山口(やまぐち)(八ヶ森・新地)を経て再び鮎貝に入り、箕和田(みのわだ)へと抜ける鮎貝堰(灌漑面積二〇〇町歩余)のことと思われる。同堰の開削年代は明らかではないが、寛永検地において前出水懸諸村の改出高が著しいこと、八(はち)ヶ森(もり)の開拓が寛文期(一六六一―七三)であること、前掲万覚においてすでに堰普請の記載があることなどから、一六世紀前半には開かれていたと考えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by