日本歴史地名大系 「龍寺」の解説 龍寺りようたんじ 静岡県:引佐郡引佐町井伊谷村龍寺[現在地名]引佐町井伊谷県道引佐―舘山寺(かんざんじ)線の西側の小丘陵上に位置する。臨済宗妙心寺派。山号は万松山、本尊は行基作と伝える虚空蔵菩薩。元文六年(一七四一)に気賀(けが)関所(現細江町)に差出した御要害村寺院縁寿録(山本家文書)によると、天平五年(七三三)に行基が地蔵寺を開創、のち自浄(じじよう)院と改号したという。現在地の三〇〇メートル南の田甫に字地蔵寺(じぞうじ)の地名が今も残る。近江彦根藩井伊氏の始祖とされる共保は、寛弘七年(一〇一〇)の元旦に自浄院に近い八幡宮(現渭伊神社)の御手洗井の中より出生し、同寺で産湯を使い、産粥をもって養育されたと伝える(「井伊家伝記」龍潭寺蔵)。寛治七年(一〇九三)共保は没し、自浄院殿行輝寂名の法号をもつ墓碑が当寺にある。元中二年(一三八五)八月一〇日、後醍醐天皇の皇子宗良親王が井伊氏の館で没し、当寺の後背地で香火に付され、冷湛寺殿と号されたという。これにより寺号を冷湛(れいたん)寺と改めたと前掲縁寿録などが伝える。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by