龍峰寺跡(読み)りゆうほうじあと

日本歴史地名大系 「龍峰寺跡」の解説

龍峰寺跡
りゆうほうじあと

[現在地名]都城市都島町

都城跡の南、大淀川西岸の大岩田おおいわだ橋北側にあった。曹洞宗福昌ふくしよう(現鹿児島市)末寺で長城山と号し、本尊薬師如来。北郷忠相が母松庵妙椿大姉(豊州家島津季久娘)のために創建したといわれ、以来北郷氏(都城島津氏)代々の菩提所となった。開山起宗守興は帖佐ちようさ総禅寺(現鹿児島県姶良町)住職で、明応六年(一四九七)没。天正元年(一五七三)一月六日、肝付氏は数千人を引率して都城を攻めようと住吉原すみよしばる(現鹿児島県末吉町)に陣を布いた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つで,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) として四季の中央におかれた中気。元来,春分は太陰太陽暦の2月中 (2月後半) のことで,太陽の黄経が0°に達した日 (太陽暦の3月 2...

春分の用語解説を読む