日本歴史地名大系 「龍峰寺跡」の解説 龍峰寺跡りゆうほうじあと 宮崎県:都城市五十町村龍峰寺跡[現在地名]都城市都島町都城跡の南、大淀川西岸の大岩田(おおいわだ)橋北側にあった。曹洞宗福昌(ふくしよう)寺(現鹿児島市)末寺で長城山と号し、本尊は薬師如来。北郷忠相が母松庵妙椿大姉(豊州家島津季久娘)のために創建したといわれ、以来北郷氏(都城島津氏)代々の菩提所となった。開山起宗守興は帖佐(ちようさ)総禅寺(現鹿児島県姶良町)の住職で、明応六年(一四九七)没。天正元年(一五七三)一月六日、肝付氏は数千人を引率して都城を攻めようと住吉原(すみよしばる)(現鹿児島県末吉町)に陣を布いた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by