したる

日本歴史地名大系 「したる」の解説

したる
したる

中世にみえる地名で、伊奈いな郡のうち。一二六九年初めフビライが派遣した黒的ら国使一行が対馬に着岸した際に対馬島人が上陸を拒んだため、使者らはその帰国に際して対馬の塔二郎・弥二郎を捕虜として連れ帰ったというが(「元史」至元五年九月条)、黒的らが志多留したるを侵して藤次郎・弥次郎の二人を捕らえて去ったともいう(津島紀事)。永和三年(一三七七)「いなこほりの内したる」の「たうしやう」の竈の春秋年貢が給分として「あふみさへもん介」に宛行われている(同年八月二三日「宗澄茂(隆茂)書下写」宗家判物写)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報