中館 久平(読み)ナカダテ キュウヘイ

20世紀日本人名事典 「中館 久平」の解説

中館 久平
ナカダテ キュウヘイ

昭和期の法医学者



生年
明治31(1898)年1月

没年
昭和38(1963)年4月14日

出生地
青森県弘前市

学歴〔年〕
慶応義塾大学医学部〔大正14年〕卒

学位〔年〕
医学博士〔昭和8年〕

経歴
昭和3年慶大講師、7年まで東大法医学教室で研究。同年慶大助教授、欧米留学を経て9年教授(法医学主任)となった。以来東京地検嘱託となり、司法解剖例3000件、下山事件では自殺説を主張。また日本法医学会会長、同学会理事を兼務。ショック、中毒など研究業績多数、門下生も多い。著書に「実用法医学」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中館 久平」の解説

中館久平 なかだて-きゅうへい

1898-1963 昭和時代の法医学者。
明治31年1月生まれ。昭和9年母校慶大の教授となる。東京地検嘱託として帝銀事件などの司法解剖や鑑定にあたる。下山事件では自殺説を主張し,他殺説の古畑種基(たねもと)東大教授と対立した。日本法医学会会長。昭和38年4月14日死去。65歳。青森県出身。著作に「実用法医学」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例