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下山事件 しもやまじけん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

下山事件
しもやまじけん

第2次世界大戦後,国鉄をめぐって生起した三大事件の1つ。日本国有鉄道総裁下山定則の死去をめぐる事件。 GHQの命令で国鉄が大量解雇を実施する直前の 1949年7月5日下山が消息を絶ち,翌日午前1時 20分頃,東京都足立区五反野南町 934番地先の常磐線北千住-綾瀬間で轢死体となって発見された。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

下山事件

国鉄が約3万人の人員整理を発表した翌日の1949年7月5日、下山定則・国鉄総裁が自宅を出た後、東京・日本橋の三越に入ったまま行方不明になった。翌6日未明、足立区の国鉄線路上で、れき死体で発見。他殺説と自殺説が鋭く対立し、米情報機関による謀略説も取りざたされた。

(2006-01-22 朝日新聞 朝刊 東京都心 1地方)

出典|朝日新聞掲載「キーワード」
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デジタル大辞泉の解説

しもやま‐じけん【下山事件】

昭和24年(1949)行方不明になっていた国鉄総裁下山定則が常磐線綾瀬駅付近で轢死(れきし)体となって発見された事件。総裁が国鉄職員の大量整理案を発表し、労働組合が反対闘争を盛り上げていた最中のため、他殺か自殺かの議論を巻き起こし、労働運動に大きな打撃を与えた。事件は真相不明のまま捜査打ち切りとなった。

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百科事典マイペディアの解説

下山事件【しもやまじけん】

1949年7月5日ゆくえ不明となった初代国鉄総裁下山定則が,翌日,常磐線北千住〜綾瀬間で轢死(れきし)体となって発見された事件。当時国鉄労組は9万人の人員整理案に反対する闘争を行っており,7月4日第1次整理の通告をうけて本格的闘争に移ろうとするやさきのことだった。
→関連項目青梅事件古畑種基

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世界大百科事典 第2版の解説

しもやまじけん【下山事件】

1949年7月5日,日本国有鉄道(1949年6月1日公共企業体として再発足。現JR)の初代総裁下山定則が,登庁の途中に日本橋の三越本店へ入ったまま行方不明となり,6日,常磐線綾瀬駅付近の線路上で轢(れき)死体となって発見された事件。国鉄は,ドッジ・ラインの一環として6月1日施行の行政機関職員定員法にもとづいて,職員62万3000余名のうち12万0413名(19.3%)の人員整理に着手し,7月4日第1次整理3万0700名の通告を行った。

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大辞林 第三版の解説

しもやまじけん【下山事件】

1949年(昭和24)7月、国鉄総裁下山定則が常磐線綾瀬駅付近で轢れき死体となって発見された事件。当時、国鉄は大量人員整理を発表し、労働組合が反対闘争を組もうとした矢先であり、左翼勢力による他殺説が流された。このため、三鷹事件・松川事件とともに労働運動に大きな打撃となった。事件は他殺説・自殺説ともに決め手のないまま迷宮入りとなった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

下山事件
しもやまじけん

1949年(昭和24)7月5日、国鉄初代総裁下山定則(さだのり)(同年6月1日就任)が行方不明となり、翌6日常磐(じょうばん)線綾瀬(あやせ)駅付近で轢死(れきし)体となって発見された事件。死因をめぐり自殺説、他殺説が捜査当局、ジャーナリズム、法医学界それぞれを二分するという前例のない事態となった。半年後、警視庁は自他殺を明言しないまま捜査本部を閉じ、真相は謎(なぞ)に包まれたまま64年の時効成立で迷宮入りとなった。事件に関する各種資料のほとんどはなお未公表である。
 当時ドッジ・ラインの一つの柱として行政機関職員定員法による人員整理(定員3割減)が予定されており、国鉄9万5000人の首切りは、官公労組織の中核、国鉄労組との対決という点でも、一連の整理の最大の山であった。事件は、ストを含む実力行使の方針を決定していた国鉄労組の反対闘争の出鼻をくじき、さらに民間側の人員整理にも大きな影響を与えた。三鷹(みたか)、松川両事件と並び戦後史の大きな転機をつくった事件である。[荒川章二]
『松本清張著『日本の黒い霧』(文春文庫) ▽下山事件研究会編『資料・下山事件』(1969・みすず書房) ▽矢田喜美雄著『謀殺・下山事件』(1973・講談社) ▽佐藤一著『下山事件全研究』(1976・時事通信社) ▽田中二郎他著『戦後政治裁判史録 第1巻』(1980・第一法規出版)』

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世界大百科事典内の下山事件の言及

【国鉄行政整理反対闘争】より

…6月末の中央委員会で国鉄労組は,公労法をあえて無視して〈ストをも含む実力行使〉を決議した。しかし,下山事件,三鷹事件の衝撃や(国労)民同派による組合分裂の動き,左派内部にもあった占領軍による弾圧への恐れからくるためらいなどが重なって,国鉄労組は解雇通告が発せられた7月の決定的段階でこの決議を実行に移せず,解雇は大きな抵抗なしに遂行された。また民同派中闘の発した零号指令によって被解雇者の組合員資格が奪われ,左派系役員は組合から放逐された。…

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